「子どもたちを守るために」(緑色評論)その2

na2on2011-09-12

子どもたちを守るために 
〜日本の母親・父親たちが憂慮する放射線の影響と、現状〜


原子力発電所の事故と、その後の人々の対応


 3月11日、日本を襲った大きな地震は、未曾有の被害を我々にもたらしました。そして地震がひきがねとなって起こった福島第一原子力発電所の事故は、未だに事態収束のめども立たないまま、我々をおびやかし続けています。

 福島第一原発から漏れ出る放射性物質は、大気や水に運ばれて、国内のみならず世界に飛散しています。特に福島県をはじめとする原発周辺地域は、明らかに通常を大きく上回る空間放射線量が計測され続けています。

 この事故の報道があった直後に、行動をとった人々は大勢いました。国外退去が自国政府から勧告されたドイツやフランスなどの「外国人」はもとより、福島第一原発から離れた西日本や、海外へ避難する日本人もかなりの数にのぼりました。中でも、子どもを持つ親は、素早く行動する人々が多かったように思います。

 当然、誰もが日本政府の素早い対応を切望しました。しかし、彼らは、福島第一原発から20キロ圏内の住民に避難勧告こそしましたが、事故収束も含めて有効な手だてを起こさず、いたずらに日々が過ぎて行きました。公式に発表されるデータはほとんどないにもかかわらず、枝野官房長官が繰り返し語る「ただちに影響はない」というコメント。「ただちに」の裏に隠された真意を考えざるを得ない、多くの親がそう感じました。そして、今の状態はどうなっているのか、海外のサイトを見たり、有志の学者や団体の見解を集めたりしながら、自分たちで判断して、行動してきたのです。

 やがて最初に言われていたより遥かに多くの放射性物質福島第一原発から漏れ出ていたことや、事態が収束どころか悪化していていることが明るみに出ました。そうであるにも関わらず、最も心配しなければならない福島第一原発のある「福島県」や、その周辺の県といった自治体や国は、安全からはほど遠い安全基準を打ち出しました。彼らは、放射線健康リスクが専門の医学博士らをアドバイザーに迎え、その地で、大人に比べて放射線の影響をより受けやすいとされる「子ども」たちが、通常とほぼ変わらない生活を送る事を推奨すらしているのです。

 中でも文部科学省が出した子どもの被曝許容量を年間20ミリシーベルトまでとした通達は、何ら合理的な説明のないものであるにも関わらず、いまだ撤回される気配もありません(ICRP[国際放射線防護委員会]の勧告では、許容できる公衆の被ばく量は年間1ミリシーベルト以下で、年間20ミリシーベルト以下は仕事で放射線を浴びる「職業被ばく」の基準です)。

 さまざまな物事が明らかになっていくにつれ、状況を少しでもよくしようと立ち上がる人々が増えもしました。母親、父親らをはじめとする有志が、我が子や福島県周辺の子どもを守るべく、暫定基準値20ミリシーベルトの撤回を文科省に訴えるなど、市民レベルでの活動も活発になってもきました。


子どもを守るためにつながるネットワークを


 そういった各地の人々や団体が全国規模でつながることで、子どもたちを守るための大きなうねりを作って行こう、そんな動きが事故から数ヶ月後から始まりました。

 きっかけを作ったのは「NPO法人チェルノブイリへのかけはし」( http://www.kakehashi.or.jp/ )の代表、野呂美香さん。彼女は、チェルノブイリ原発事故で被災した子どもたちを日本に招待し健康回復をはかる運動をはじめとする被災地への救援活動を長年続けて来ました。今回の日本での事故の後、各地で、その体験談と、転地療養などを軸にした具体的に子どもを守る手だてを語る中で、人々が「つながる」大切さを呼びかけたのです。

 その呼びかけから、子どもを放射線の被害から守りたいという思いで行動する母親や父親を中心に、全国の個人や団体がつながり、それぞれのアクションを支え合うネットワーク「子どもたちを放射能から守る全国ネットワーク(通称子ども全国ネット)」( http://kodomozenkoku.com/ )が立ち上がりました。

 7月12日に結成のキックオフミーティングを行った他、8月1日には、具体的な活動計画を決めるミーティングを行うなど、着実に足を踏み出しました。

 その具体的な活動内容を記した、同会のHP上に記載されたレポートを編集の上、引用したいと思います。


「子ども全国ネット」の活動


◯7月12日「子ども全国ネットキックオフミーティング」

 2011年7月12日、あの、震災から4ヶ月が過ぎて…というこの日、私たち「子ども全国ネットキックオフミーティング準備会」による呼びかけに応え、400人を超えるお母さん、お父さん、関係者のみなさんが集ってくださいました。会場はほぼ満員。たくさんの報道関係者も座席をとりまくように集まってくださいました。

 各地でみなさんが行動している、そのことが「みんな、こういう集会を待っている、いま、開かなくては!」と私たちに思わせたわけで、当日の熱気がそれを物語っていました。

 第2部の「であおう」(地域ごとのミーティング)でその盛り上がりは一気に最高潮に達し、第3部で登場してくださった山本太郎さん(*注:俳優。今回脱原発をいちはやく訴え、様々なイベントでその思いを伝えている)のあいさつや「エイ エイ オー!」で締めとなるまで、そのままの盛り上がりでした。

 準備会からの提案である「1000回茶話会」「1000万署名」「子ども独自基準」などに加え、会場のみなさんから提案された、いくつものアクションがこの日のミーティングの成果でもあり、この会の第一歩を記すものとなりました。


第一部 つたえよう

 準備会からは、きょうのこの会にいたるまでの出会いと軌跡、そして、みなさんで共通認識としたい放射能に関する知識を語り、全国各地から集まってくださった方に、自分たちの思いを語っていただき、座談会「ふくしまのいま」では、6人それぞれの福島からの思いを語っていただきました。

 あたりまえの家族の暮らしも、学校も、地域も、あたりまえの子育てもが、ありえない状況におかれている福島の現状を現地に住んで、現地に入って「未来の福島」を守ろうと活動しているみなさんの声からそのままお伝えしたいと設けた時間です。

 まず、関心と心をかたむけ、知ることから始めなくてはと、あらためて思った時間でした。

「葉っぱを触ってはいけない…」

 子どもにそんなことを伝えなくてはいけない毎日がいつまで続くのかと悩み、そうして母子を避難させた父親。

 友だちや部活をあきらめきれない中高生を父親のもとに託し、3歳の小さな女の子だけを連れて実家に身を寄せる母親。

 生まれ育った故郷で、高濃度の被ばくの中、危険とも思わず暮らす人びとにどうやって故郷の未来の危機を伝えようかと、何度も何度も足を運ぶ人。

 福島県内では比較的汚染の少ない地域ということで、避難区域から避難した父子家庭の女の子を預かり育てる人。

 みんな、同じ場を共有しながら伝わってくる苦しみが、ネットの中からのそれとはちがって体感を通して私たちに伝わってくるようでした。

「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」の副代表である佐藤幸子さんからの、障がいをもつ仲間たちが、仕事も減り、避難もしにくい中、被ばくしつつ暮らす現状とこれから、子ども福島ネットがやろうとしていることについてのお話があり、子ども福島ネットとつながる「子ども福島情報センター」の丸森あやさんからは、健康相談会で見えてきた子どもたちの健康被害と、市民測定所の開設などの報告がありました。

 私たち、子ども全国ネットにとっても、福島の子どもたちのことは、福島の問題じゃない! 私たちの、全国、全世界の問題として、目と気持ちを向け支え続けていくことの思いを新たにしました。


第二部 であおう

 第1部の最後、福島の座談会に耳を傾け、真剣に聞いてくださりながらも会場中のみなさんが「語りたい気持ち」が一杯なのが伝わってきていました。

 それが、一気にはじけた、地域ミーティングタイムでした。あの時間の熱気は、思い出しただけでも胸が熱くなるほどです。

 きょうの主役は、紛れもなく集まってくださったみなさんだと駆けつけた報道関係者にも伝わったことと思います。


第三部 つながろう

 どんなに時間が終了したことを伝えても、なかなか終わることができないほどのきょうここで同じ思いをもつ仲間と出会えたことへの強い思いが、第3部の各地からのアクション提案に表れていました。

 撤収時間の都合で、各グループほんの1分しか発表できないなかで、同じグループの仲間の思いを伝えてくださったみなさんの1つずつのアクションが「つながって動かしていこう」という期待にあふれていました。

 この会は、「ネットワーク」です。

 全国組織ということではなく、全国でつながる団体をいかにつなげ、大きなうねりにしていけるか、準備会あらため事務局では、そこに重点をおいて検討しています。

 このあとは、福島疎開訴訟を支援する柳原敏夫弁護士による活動の支援要請と近く来日するECRRのバズビー教授の講演会の告知があり、その後、登場したスペシャルゲスト、山本太郎さんの力強いメッセージが続き、最後は野呂美加さんが登場し、「子どもたちへの愛」の強さをみんなで再確認したところでお開きとなりました。また、夜の部では、運営に関するミーティングを行いました。 

 いつか、2011.7.12という日が、大きな始まりの日として記憶されるようこのネットワークが歩き続けていけるよう、つながる人たちと共に、支えていきたいと思っています。


◯8月1日「第一回 ファーストアクションミーティング」


 120名を超える方々にお集まりいただきました。7月12日のキックオフミーティングに引き続き参加してくださった方も多く、「子どもを守るための具体的なアクションプランを考えたい!」という意気込みのもと、活発な意見交換が行われました。

 午前の部では、各地で積極的に支援活動を行っている方々に、その活動内容をご紹介していただきました。

「福島の子どもたちを、全員疎開させたい!」という強い気持ちで、全国の自治体や協力団体と提携して疎開・避難支援プロジェクトを進めているハーメルンプロジェクトの志田さん。福島から関東に母子避難されている方々で起ち上げた避難母子の会」の深川さん。食の安全を求めて自治体交渉に挑んでいる「いのちを守る全国ネット」の増山さんや、内部被ばくから子どもを守る会」の中村さん。そして、全国で5センチ50センチ計測のプロジェクトを進めている松尾さん、福島で市民放射能測定所を起ち上げた丸森さん等々。

 みなさんのお話は、今後私たちひとりひとりが活動を進めていく上での指針となるような貴重なものでした。

 そして午後の前半は、ご来場者のみなさんに「食の安全」や「食品測定」「放射線値測定」「行政・議員対策」「福島支援」などのテーマごとのグループに分かれていただき、現在抱えている悩み、問題点などを思う存分吐きだしていただきました。

 私も、「食の安全」グループでいっしょにお話をさせていただいたのですが、保育園のお子さんを持つ神奈川県在住のママさんは、「保育園で出される食事が心配。でも、園長にかけあっても『国が安全と言っているから』と相手にしてくれません。どうアプローチすれば効果的なのか、みなさんで知恵を出し合いたい」と心境を話してくれました。

 午後の後半は、「今後、どのようなアクションにつなげるか」について話し合いを持つため、お住まいの地域別か、あるいはプロジェクト別のいずれか分かれて、話し合いが続けられました。

 以下、決定したアクションプランの一部をご紹介します。

【地域別アクションプラン】
東京23区……区内の独自基準制定に向けて働きかける/保育園の対応をデータベース化して共有する/スーパーなどのアンケートに「西の野菜をおいてほしい」とリクエストを出す等
東京市部……地域のメーリングリスト作成/茶話会の開催/市への放射能測定の請願書提出/20ミリシーベルト撤回の署名運動/それぞれの地域で行うデモやイベントなどの相互協力/食品測定室の設置等
さいたま地区……専門家に協力を依頼して土壌検査の促進、等

【プロジェクト別アクションプラン】
「食の安全」チーム……食品安全委員会パブリックコメントへ多くの声を寄せるため、呼びかけを行う/これまで安全な食品の流通や生産に関わっていた生協などとの話し合いの場を設ける/これらを踏まえて、3段階での子ども独自の食品安全基準を打ち出す 等
「政府交渉」チーム……全国での食品計測の要望/汚泥肥料の流通差し止め要望/情報公開請求/全国自治体の放射能対策対応一覧作成等のアクションを起こす等
「福島支援」チーム……シルバー隊などを起ち上げ県内の除線活動を進める/避難者同士のネットワークづくりを行う/海外への情報発信を行い福島の現状を訴えるなどのアクションを起こす等
「食品測定」チーム……福島で起ち上がった市民放射能測定所にならい、下北沢(東京世田谷区)でも8月中に食品測定所を起ち上げることに決定
放射線値測定」チーム……専門家のもとに各地で計測のネットワークをつくり、機種を決めて広い範囲で計測を行う 等
(引用ここまで)


私たちが感じている現状と今後


 上記にもあるように、「子ども全国ネット」は今後、「食べ物」の安全基準や、食品測定所を独自に打ち出すことや、福島を中心とした地域に住む家族の、事故による放射線の影響が少ない西日本への移動を支援といった活動を具体的に始めていっています。

 それらのアクションを行いながら、今、私たちが感じている大きな問題は「疲弊」です。

 この団体の立ち上げに関わったある母親はブログにこう書いています。

「メディアが信じられない今、自分で判断して子どもを守ろうと、週末ごとに危機感を持ち続けるために勉強会・講演会に行きました。
 主人は、たまたま食事中に福島の20msv問題がNHKでながれ、悔しさに私が耐え切れず、号泣してしまった姿を見て、少し歩み寄ってくれた気がします」

 一方である父親はこう書いています。

「3・11以来、私もインターネットで情報を集め回って、どうしたらいいのかわけも分からないまま、自分ができることや、「これなら」と思えることを見つけては、家庭での対策や、学校・自治体への質問を続けてきました。
 そんな中で強く感じたことは、とにかく情報の量も幅もありすぎて、何を信じたらいいのか、自分にできることは何なのか、それを見つけるだけで疲れ切ってしまうということでした。
 資料をダウンロードしてみても、専門知識がないと読みづらかったり、数字が並んでいて解読するのにとても時間がかかってしまったり・・・外国語だったり」


 特に福島に住む母親や父親の中には、家族や親族、コミュニティの間での意見の相違から避難したいと思ってもできないケースも多く見受けられるようです。特にその地に長く住んで来た人の多いコミュニティにおいては、その土地を離れることを言い出す事すら難しい空気もあるように感じます。さらに「安全だ」「安全ではない」といった様々な情報が一度に入り、それを取捨選択することにともなう大変な手間とストレス。それらが続けば、一種の思考停止状態となり、ネガティブな情報をシャットアウトしたくなる心理になるのは無理がないでしょう。

 ただ、少なくとも、子どもは、自らが選択できる年になるまで「健康」であり続ける権利があるはずです。そのためには、政府が一言「避難を」と言えばという思いは拭えませんし、訴えは続けますが、私たち個人や民間のレベルでも、具体的な手だてと共に、効果的に声を上げ続けて行こうと思っています。

 放射線のリスク評価について特にシビアな目を持ち続けて来た市民団体ECRR (European Committee on Radiation Risk http://www.euradcom.org/ )の科学顧問クリス・バズビーさん(アルスター大学の客員教授でもある)は、7月に来日した際の記者会見で次のように語っています。

「日本政府の無責任さは犯罪的だ。福島県などの地域で計って来たレベルの放射線にさらされると、あとで大変なことになる。現在の基準を変えずに進めて行けば、子どもたちにも重大な影響を及ぼす事になるだろう。
 先日、会津地方(福島県の山間部)に行った。木々は緑色に茂り、鳥も何事もなかったかのようにさえずっている。人々も普段通りに生活している様に見えた。しかし空間放射線量をはかると、以前とはまるで違った状況になっていることが分かる。私たちは国際的に未曾有の事態に直面しているのだ」

 韓国をはじめとする諸国にも明らかな影響を与えてしまった、今回の事故に対して、私はひとりの日本国民として、心から申し訳なく思っています。

 その上で、皆さんに、私たち日本の親たちが直面している状況と、動きを知っていただき、目を向けていただければ幸いと感じています。そして、皆さんの力もお借りしながら、共に手を携えて、前向きな未来を作るアクションを続けていけたら、と思っています。


「緑色評論」http://greenreview.co.kr/


*一部執筆した時期(8月中旬)から状況が変わった物事もありますが、そのまま記載しています。