2年目。

昨年の7月、あるしんぶんで連載した。
子育てエッセイ的なもので週刊×5回。
その最終回に、当時のかぞくについて書いたもの。
もっかい、読み直してぼくなりの「2年目」を歩んでいこうと思います。


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父さん奮闘記


その5 七代先のこと


 3月11日、東日本大震災に襲われた後のことです。都内の我が家の周囲では計画停電が実施され、ぼくも仕事帰りに、ネオンサインも街灯もない町中を歩きました。静まり返った夜道で見上げる空には、月が輝き、大粒の星がきらめいていました。自然に子どもたちのことが、頭に思い浮かびました。

 いささか感傷的になっていたかもしれません。ただ、その時の「子どもたちは、幸せな未来を選ぶ権利があるはずだ」という思いが、以降のぼくの行動のひとつの基準になっているように感じます。

 今、福島第一原発の事故により、放射性物質が飛散し、内部被ばくなど、からだへの影響についての不安が広がっています。一方、基本的に子どもたちには、外で泥だらけ水浸しになって遊び、ちゃんとご飯を食べることや、将来、子を産み育てることが安心してできる環境など、たくさんの守られるべきものごとがあると思います。

 いくつかの逡巡もあるのですが、ぼくたち夫婦は、親交の深いオムリエ家族の厚意に助けられつつ、我が子たちを西の方にしばらく移動させることにしました。それと併行して、妻は、全国の親たちが、被ばくに関する情報を交換し、共に動くネットワーク作りに携わり、福島の子どもたちや親御さんを中心に、放射線の被害を軽減するための移動のサポートをしていこうと奔走しています。ぼくも人ごととは思えず、そのお手伝いをすることにしました。

 ぼくが敬意を表するある医師はこう言います。「アメリカ先住民は、大事なものごとは、七代先のことを考えてから決めていた」。先人から受け継いだ良きものを、未来を担うすべての子どもたちに伝え、彼らの健やかな命を守るべく努力することが、ぼくたち大人がすべきことであり、この震災や事故からの尊い教訓を生かすことにもなると感じています。またお会いしましょう!