ツクダニオムリエ。

 お腹の中にコドモが入っていることが判明してからのツマは、冗談みたいに見事なつわりとなり、バナナにすべって転ぶ人みたいにステレオタイプな、パイナップルとかレモンとかの酸っぱいものや冷たいソーメンなどを欲する人になりました。現在1歳7カ月になったムスメが腹の中にいた時もそうでした。つわりがきつくてワタクシは夜にスーパーやらコンビニやらへ走りゼリーとかを購入したものです。

 そんなツマが、この数日御執心なのが、海苔のツクダニです。そのツクダニも、普通に買えるツクダニじゃなくて「羽田に住んでいる遠縁の親戚が年に一度ツマの実家に送ってきてくれる近所で買ったツクダニ」でないといけないんだそうです。つわりの中、そのツクダニのことを思い出し、あああれだったら食べられると思ったらいてもたってもいられなくなったんだそうです。

 魯山人かお前は。

 魯山人は書家などなどをしつつ食とかの「通」を極めた御仁ですが、コドモの頃から食い物にうるさく、猪の肉を買うにも、脂がいい具合に混ざっているその部分をくれ、などと肉屋に指図していたそうで、はっきり言ってかなりやなガキだったようです。大家になってからもキヨホーヘンの激しい人物だったようですが、1回1回の食事をできる限り美味しく食べるのは、食材に対する敬意を表すことであり、人間の当然の欲求でもあるのだ、と至極まっとうなことをしつこく言い続けていた人です。

 その考え方は敬服するけど、それだけの才能や努力する気がないワタクシとツマが、どこそこのなにそれじゃなきゃいかんなどと食い道楽を気取ったりするのは堕落以外のなにものでもない。食を楽しむのであれば、自分たちで調理を工夫すればいいのであって、それもせいぜいスーパーで売っている海苔をあぶってショウユつけて食べれば十分であるし、そこまでしなくて海苔でゴハンを巻いて食べるだけでも十分であると思うストイックなワタクシ。

 ただ、そのツクダニ、ワタクシもツマの実家からのお裾分けを食べたことがありますが、糖分のべた付く感じのねばりがなくて、しっかりとショウユがきいているなんというか素朴で飽きがこない味のツクダニで、つまりもう一度食べてみたいな、などと思わないでもないボンノウの固まりなワタクシも同時に存在します。

 そして、ツマはつわりで、つわりを経験し得ない立場のワタクシはそのつらさが判らない分、ツクダニを強く否定しづらい。気分悪いんだーなどと言っている(その割にはしっかりとゴハンをお代わりしているのですが)のを聞くと、ツクダニもやむを得ないと感じてしまう。そのままずるずるツマのペースに巻き込まれ、いつしかネットで「羽田 海苔 佃煮」なんて検索をかける羽目になっている。

 グルメ家族か、と自分で自分に突っ込みたくなります。

 ワタクシ学生時代、将来なりたいもの欄に「食通」と書いたことがあります。別においしいものを食べつけていた訳でもないし、食に興味を持っていた訳でもない。だから、多分人と違うトンチの効いた回答を書いたつもりだったんだろうし、同時に求道的なスタイルに憧れちょっとだけ本気だったんだとも思います。

 そんなワタクシが、現在、うまいツクダニ漁りをしているこの状況。若い頃のワタクシが見れば、なんか違うんでねえの、と言うんじゃないかあと思います。言うなれば魯山人になるつもりがクッキングパパになっちゃった、みたいな。

 その横でお店を特定できないツマが実家に電話して在所を聞き出している。これじゃ美味しんぼの山岡さんと栗田さんです。いずれにしても堕落です圧倒的に。

 でもこれはこれでそんなに悪くない気分です。だってツマがつわりなんだもん。またにてぃらいふたらいうやつですもん。仕方ありません。ワタクシもそれに乗っかって小さく幸福を拾っていきます。二度目になって、ワタクシ、一家が妊娠中であるということをメリットに取るようにしようと思います。そして、自分には必要の無い部分ではつんつんしないオトナになっていこうとしているみたいです。

 まあ、魯山人みたいな、ガンコジジイもカッコいいなとも未だに思うし、クッキングパパとか山岡さんがカッコいいとはちょっと思わないのですが。