都オムリエ。

 ワタクシどものムスメは、最近オリジナル曲をうたうようになったようです。

「ちーやちーや」と手をひらひらさせる「きらきら星」、手を鼻にくっつけてゆらゆらさせる「じょーちゃ」すなわち「ぞうさん」、電撃ネットワークのような手の振りをなぜか敢行する「いぬのおまわりさん」。そういったうたに混じって、「おいしいな」の歌とか「ちょきらー」の歌というオリジナルをうたうわけです。

 おいしいなの歌は別名「まなのうた」で、ワタクシどもが「まなのうたやって」とリクエストすると、ムスメは背をすっとただして「まーなー」と細い声を振り絞ります。そのまま「まーなー まーなー」と続けて今度は「おーぶー」と展開する。

 何度か書きましたが「まな」とはおいしいものの総称で「おぶ」は中でもムスメがこよなく愛すお麩のことです。オトナのコトバにすればこのうたは「おいしいものはなあに おいしいものはなあに おいしいものは お麩なのよ」とでもなります。要するにムスメにとって大変重要なことをうたう歌なので、彼女は、全身全霊でうたいます。

「おーぶー」とうたい上げるムスメの顔は、目を細め、口をとがらせた、快感とも苦痛とも取れる表情で、そして、自分の声が少しでも遠くへ、山の向こうにいる誰かへ伝えるかのごとく、上に向けられています。それは気高いおたけびをあげる獣のようでもあり、性交時のごとく官能的な表情でうたうビョーク姉さんとか都はるみ(!)のようでもあります。

 ひと段落ついてから、「なんかもうひとつやってみてよ」と面白がって言うと、ムスメは、すかさず「ちょきらー」とうたって、肩をすくめてうふふふと笑う。「ちょきらー」は道を歩く時によくうたっているフレーズで、意味は不明ですが、気持ちのいい状態を現すコトバのようで、ワタクシも一緒に「ちょきらー ちょきれー」と声を出すと、ムスメは声を挙げて笑いながら、ステップを踏む。こちらへ向かって歩いてきて、ぐるりと回って元来た方へ歩いて行く、それを繰り返しながら「たのしいな たのしいなったら たのしいな」という歌を腹から楽しそうにうたい続ける。

 村上春樹が「音楽はハッピーなものだ」という意味のことを書いていたように覚えています。そのことを以前知り合いに話したら、例えばある人物にとっての「ヘルタースケルター」のように、暗い気持ちを盛り上げる音楽だってある、と言い返されてそれもそうだと納得したことがあります。

 しかし、今、ムスメを見ていると、春樹の言っていることが改めて留保無しで納得できてしまう気がします。音楽自体にアンハッピーなものはなくて、例えネガティブな気持ちから生み出された音楽も、出来上がり、うたわれ、淘汰されていくことによって浄化されてしまう、音楽が必ず根底に持っている、ハッピーあるいはポジティブな核が浮かび上がってくるんじゃないかと。つまり「癒し」とか「許し」といった感情が音楽の出所なんだと思います。

 多分こういうこと言ってるのは甘いんだろうなとは思いますが、でも、うたとかの持つハッピーな部分を信じてはいたいな、と思ったりもする今日この頃ではあります。ちょきらー。