オムリエ恋の片道切符。

 近頃ムスメは、ワタクシとお風呂に入るのがマンザラでもないようです。

 他の事柄は「かあちゃん」一辺倒でワタクシには厳しい態度で接するのに、こと風呂に関しては、はじゅかちい、などと身をくねらせはするものの、ワタクシがひょいと抱きかかえると、シンミョウに風呂場に連行され、従順になります。

 とは言っても、入ったはいいが、すぐに飽きて、おしまいおしまいと連呼し「ぽちゃぽちゃ」即ち湯船につかろうと訴えるムスメをだましだましどうにか体を洗い終え(風呂自体に飽きる前に、先に体を洗ってから湯船に入れているのです)ふうとひと息つく間もなく手早くワタクシの体も洗い出すと、ムスメは、じっとこちらを見ている。ワタクシが髪の毛を洗ってざばりとお湯をかけると、きもちいい? と聞いてきて、気持いいよとずぶぬれの頭と顔を上げて答えると、その姿がおかしいのかくすくすと笑います。

 ムスメの体は洗うとすぐにさっぱりとした清潔な肌になります。髪の毛だってやわやわと洗って流すだけでさらさらでくしゃくしゃっとした巻き毛が戻ってきます。多分どの赤子、幼児もそうだと思うんですが、彼らはぎゅっと手ぬぐいでふくだけでもすぐに触り心地のいいあの肌が復活します。コドモの体洗いのダイゴミはまさにその回復の見事さにあります。

 とにもかくにもどうにかふたり分体を洗い終え、よっこらしょうと湯船に入ると、それまでのあっちを向け足をあげろ、というメンドウな指令から解放されたムスメも、大好きなぽちゃぽちゃに入った解放感も加味され、ブリキのジョウロなどでひとしきり遊んでから、湯船のふちに手をついて屈伸したり忙しく遊び回ります。

 体力仕事がひと段落したという解放感につつまれたワタクシが、気持良かったねえ、きみはちょっと洗うだけですぐきれいになるねえと後ろから言うとこちらを振り向いて、うふふふと笑う。その笑いはこちらをどきりとさせる要素を持つもので、ワタクシも思わず笑い返すと、またうふふと秘密めいた笑いをする。

 それは、先ほどのくすくす笑いとは少し違うオモムキで、体を共同で洗うという、濃密な時間をふたりだけで過ごした者どうしの、いうなればまさに恋人どうしのそれで、ワタクシは、あ、今オレは他では見せないこの子の顔を見ているんだ、と心臓がワシヅカミされる感覚を味わいながら、へっへ、となんだかヒクツな笑いを返したりして、なんであんな声出したんだろ、と後でハゲシク後悔したりする羽目になります。

 さて、無事風呂から上がったムスメは、ハダカのままフトンの上を駆け回り、ダイブし、ダンスをし、うたをひとくさりやってから、オシメ装着、寝巻き装着、ハミガキ、と一連の作業を行ない、最後にツマのおっぱいをちゅうちゅうやりながらようやくスイミンに入ります。

 その期に及んでまだムスメとのひとときを反芻しながら、夢み心地のワタクシの目に入ってくるのは、おっぱいをちゅうちゅうやりながら、ツマの顔を見てうふふと微笑むムスメの顔。

 その顔、さっきワタクシに見せた、ワタクシがワタクシにしか見せないエンゼンたる表情だときゅんとしていた、まさにその表情をしており、ついでにツマまでも、うふふいっぱい飲んでねんねだよ、なんてワタクシにはついぞ見せない慈愛に満ちた表情でムスメを見ている。この場合ツマの表情はまあどうでも良いのではありますが、しかしその様子は言葉を超えた部分で理解しあっている、ひとつに溶け合うかのように親密で緊密な「ふたり」そのものです。

 それを見て、ワタクシは寝室を静かに退出し、ちゃぶだいの前に座り、あのふたりだけのハダカの時間はなんだったのか、と考えます。あのときの親密なひとときとあの表情はワタクシとムスメの間だけに交わされたものだと、思い込んでいたのに、と。

 ムスメは魔物、というフレーズが頭に浮かびます。そう。ワタクシは認めなければなりません。ワタクシ、オヤジと呼ばれる年となり、コムスメ(1才9ヶ月)にホンロウされております。舞い上がり、落ち込み、どっと疲弊して、しかし、それでもなお、その一瞬の表情だけで、生きていける、と甘酸っぱくも情熱的な感情をたぎらせ、ぐっとコブシ握ったりするワタクシ。

 この切ない思い。それを知ってか知らずか、ムスメは翌日の風呂でまたあの微笑みを見せ、ワタクシはまた胸の奥底にある鐘をリンゴーンと鳴らされ、要するにめろめろになり、その顔見たさにワガママをいいよいいよと聞いて、オムリエ業務にもさらに精を出す。

 この状況。たまにやさしくされて舞い上がって女性にいいようにあしらわれるモテナイ君に酷似しております。むむむこれではいかんと思ったりもするのですが、とうちゃーん、とムスメに呼ばれるとはーいと駆け寄ってしまい、まなー、と要求されるままにお菓子とか与えてしまう。ワタクシのこの根っからのパシリ体質。ムスメの情操教育に悪影響を与えたりしないか、と少し心配にもなっております。