オムリエメメズ。

 うららかな春、ワタクシとワタクシのツマは、惰眠をむさぼっており、それに反してワタクシどものムスメは、とどまることなく湧き上がるウツボツたるパトスを、芽吹く草木と同調するかのように、放出し続けております。

 当然のことながら、そこにギャップが生じます。ムスメは家の中で「ちっくちっく(キック、キックの意)」とロナウジーニョのごとき華麗なサンバのステップでボールをけろうとし、見事に空振りしずっこけて、シミュレーションぎりぎりでPKを取ろうと審判に訴えかけるロナウドのごとく「とうちゃーん」と倒れたままワタクシを呼ぶ。部屋にいながらにして世界最高の技術をホウフツとさせる動きを見ている、というのに、エキサイトもせずふたりしてどたりとフトンに寝っころがっているワタクシとワタクシのツマ。そんな休日の午前。

 しかし、遊びたがっているムスメを前に、いつまでも両親でダイ・インをやっているわけにも行かない。おい起きろよとツマの方を見ると、ツマは「熊に襲われそうになって死んだふりをしている気弱な熊」然とした態度で、目をかたくつぶっており、やれやれとワタクシが体を起こし、さあうたちゃん遊ぼうじゃないか、とムスメの方を向くことになります。

 ムスメはものすごく喜んでくれて、ワタクシのくすぐりなどにきゃっきゃっと転げまわったりします。そうなると、満更でもない気分になるワタクシ。満を持してオリジナルソング「ワカメの歌」をおどろおどろしい声で一節うなり、ムスメをさらにくすぐり、さらに盛り上がってきたムスメを喜ばせるため「メメズのダンス」をうたいます。

 この「メメズのダンス」。ワタクシが少年時代に熱読した『じゃりん子チエ』の中でテツが花井先生とミツルと一緒にうたう歌(マニアックですね)で『うさぎのダンス』のうさぎをメメズに入れ替えて「たらったらったらった メメズのダンス」とやるだけなんですが、ワタクシは、両手をあわせて上にあげ、ゆらゆらとミミズの真似をして踊ります。するとムスメは、じーと見てから自らも腕を上に振り上げてゆらゆらし「とうちゃんめめずー、ちゃーちゃんめめずー」とゴマンエツになります。

ワタクシも思った以上に喜んでいただき、大変満更でもなくなり鼻の穴を最大限ひろげつつ「たらったらったらった」と続けると、ムスメは自らもゆらゆらしながら「かあちゃん」とワタクシのツマを指差し、一緒にやるように訴えかけます。

 映画『ブルース・ブラザース』で、ジョン・ベルーシが次々とリズムパターンを指示して、バンドの面々がご機嫌なフレーズを作り出すという素敵な場面。体型を含めそんなベルーシをホウフツとさせるムスメのシシフンジンのバンマスぶりに、ワタクシのツマはややあってから、メメズーとおざなりに体をゆらすという徹底したやる気のなさで応戦します。

 ムスメは不思議そうな顔でメメズダンスをやめ、ワタクシもツマの方を見る。バンドならせっかくいい感じで進んでたのにどうしたってんだい、と緊迫した空気が流れる場面。ところが、ツマは、その空気をまるで読まない口調で「あーこれね、これはネメメズ」とこともなげに言い放ち、多分寝メメズのことだと思われるのですが、ぽかんとしているワタクシとムスメを尻目に、もう一度寝転がったまま申し訳程度に尻を揺らすという対応に出るわけです。

 そのおざなりっぷり。いくら腹の中に赤子がいるからと言っても、少し前までは、ムスメが遊んでと言えば、えいやと体を起こしていたはずです。それが平常だったおなかが膨らんでくるわずかな期間で、すっかりふてぶてしく、ムスメに気を使わなくなってきました。

 そのダンコたる母(もしくはオカン)としての姿勢に、ムスメの父親であるワタクシも深く感じるところがあり、ああ、そうだ、オレも眠かったんだと思い出し、ごろりと横になって、ネメメズーと尻を揺らし出し、結局ムスメはもとのモクアミとなって、むっつりと積み木なぞをいじくる羽目になるわけです。

 そして翌朝、なんかして遊ぼうよーとまたワタクシどもに訴えかけるムスメに対し、寝転がったまま「たらったらったらった」とネメメズのダンスを行うワタクシとツマ。

 育児とは、とかオムリエとは、とかいう理想的理念てのは、はるか1万光年のかなたへと飛び去った休日2日目の午前。うららかな朝日を浴びながら、ムスメも寝転がって、メメズーと踊っています。春はあけぼの。