オムリエシャボン。

 シャボン玉をおいかけて、お気に入りの長靴をはいたムスメが、屋上をたたたたと走って行きます。

 シャボン玉を吹くなんて、コドモのころ以来ですが、やってみると、玉を大量に、長時間出し続けるのは、なかなか難しく、どうにか、わわわわと小さなシャボン玉を出すとたちまち晴れた空にふわりと広がり、ムスメは風に吹かれて飛んで行く彼らの先頭を歓声をあげておいかけまわしているのです。

 ワタクシどもが住む集合住宅には屋上があり、ここに越してきてから、ワタクシはことあるごとに屋上へあがりました。ムスメもまた生まれてもの心つく前から訪れている、いわば現在のワタクシたち家族にとっての「庭」です。

 ムスメがまだツマのお腹の中にいる頃、大晦日にいわゆる「切迫流産」を起こしてツマが急きょ入院となり、ワタクシひとりで新年を迎えた時、ここに立って朝日をおがみましたし、無事生まれたムスメがはじめて雪の上を歩き、最初はツマの足にひしとしがみついていたのが、最後には、靴の中に雪が入るのもいとわずに、歩き回ったのも、この屋上です。その雪の日の翌日は、同じ場所で家族3人真っ白の富士山を眺めました。

 そして今。1歳10カ月になったムスメは、そろそろシャボン玉に飽きてきたようで『しゃぼん玉』の歌をうたうワタクシどもをしり目に、自ら左右逆にはいた長靴をかぽかぽ言わせて屋上をリサーチし、前日降った雨の名残の水たまりを見つけて、早速、中に入ってぴしゃぴしゃやりはじめました。

 ずぼんが濡れても、階段を降りたら部屋に帰れるから安心と、こちらも泰然とかまえ、柵にもたれて座っていると、ムスメは、両手を前に出し、おいでおいでをしながら、屈伸運動をして「こっち、こっち」と一緒に水たまりで遊ぼう、と誘ってくる。

 その姿、ヒップホップのヒトたちが両手を前に出して首をちょっとかしげ、体揺すらせなにやらうたうあのポーズに似ているのですが、決定的に違うのは、彼らは体をそらせ気味にするのに対して、ムスメはへっぴり腰気味に前のめりになっているところで、ムスメはその姿勢のままワタクシどもの方へ寄って来て、勢いあまって、どーんとワタクシに体当たりをしてきます。

 ムスメを抱きとめながら見る木々は、すっかりカンロクのついたしっかりとした緑色の葉っぱにおおわれています。

 1週間ほど前に、屋上へ上がった瞬間に目を閉じたほどに、葉っぱが透明で、いきいきした緑になった日がありました。街の葉っぱが全部、夜のうちにきゅっきゅっと磨きあげられたかのようなその朝の光景を目を開けて見ながら、後ろを振り返ると、かすみの向こうに春には珍しく富士山がうっすらと見えました。

 その様子が、お役目御免と後口上を述べている役者のようにも見え、冬が完全に終わったんだ、と感じました。富士山は、空気の澄んだ冬の晴れた日にだけくっきりと見え、他の季節にはトウキョウからはほとんど見ることはできないのです。

 その日から植物は急激な上昇カーブを描いてわさわさと繁茂しているようです。

 ムスメがツマのお腹にいた頃から3回、冬がすぎて、春が来ました。その間、ワタクシはさまざまな時間をこの「庭」で過ごしたわけです。

 そんな感慨にふけるワタクシや、繁茂する葉っぱをなおもしり目に、ムスメは水たまりをぴしゃぴしゃやって、結局ワタクシにもぴしゃぴしゃやらせ、空を飛ぶヘリコプターの音を怖がってワタクシにしがみつき、大丈夫だと分かると手を振り、今度はアリを見つけて観察し、走り回り、と屋上を存分に堪能してからやおら「おうちかえゆ、とうちゃんあっこ」とワタクシに両手を差出してだっこを要求してきます。

 ワタクシははいよーとだっこをして、洗濯ものを干し終えたツマと一緒に部屋へと戻ります。

 そんな「春」の午前を過ごしました。