オムリエカミングアウト。

 秘していたことですが、ワタクシ、鉄っちゃん。です。

 一応、元鉄道ファンであるであることはシブシブながら公言しております。しかし、正直に申し上げると、今でも電車大好き。

 本屋に行ったら『鉄道ファン』やら『鉄道ジャーナル』といった専門雑誌を立ち読みして情報を仕入れます。目をつぶっていても、走っている音で、大体どの形式の電車かを言い当てることができちゃいます。何より電車を見ると、格好いいなあとうっとり眺めてしまいます。窓とか扉とか車輪とか連結器とかパンタグラフとか、もう、たまんない。

 そんなワタクシがムスメに作ったうたに、東京メトロのトンネル掘りを一手に引き受けるキンベンなモグラのうた、というのがあります。

 おいらは もぐら もぐらもち
 地下鉄工事は まかせてよ
 千代田 半蔵門 銀座 丸の内
 みんな おいらが 掘ったのさ
 もももも もぐら もももも もぐら
 おいら もぐらもちー

 ちなみに、昔に書かれた童話などを読むと、モグラの別称として、もぐらもち、という呼び名が出てきたりします。そんなクラシックな香りを持つうたをうたうと、ムスメは「おいらっ」「こうじっ」「おいらっ」「もちー」と歌詞に並行して合いの手を入れ、顔をくしゃくしゃにして笑います。

 その好きなものに対して全面的に身をゆだねた無防備な笑顔は、ワタクシにとってどこか懐かしいにおいのするものであります。

 ワタクシが生まれ育った名古屋の団地のそばには、瀬戸電なるのんびりした電車が走っておりました。ワタクシは、その赤くてニクイやつ(瀬戸電のこと)を見て育ち、電車全般への愛をはぐくんだのであります。

 ちょうど、今のムスメくらいの年のワタクシが、その駅のベンチの上に「たっち」している写真が残されております。2歳のワタクシの目は、向こうからやってくる(と思われる)電車に向けられ、腹の底から嬉しそうに笑っております。手前味噌的であることをあえて恐れずに言えば、こんなステキな笑顔で迎えられたら、そりゃ電車冥利に尽きるだろってくらいのまっつぐでいい笑顔です。

 ムスメもまた、歌詞にも出てくる丸の内線の駅に降り立つと、発車する電車にばいばーいと手を振り、車掌さんに手を振り返してもらったりすると、ものすごく喜んで、よいしょよいしょ、とホームの真ん中で屈伸をして、ゴキゲンのあまり、ホームに居る人全員にばいばいをして歩いたりします。

『もももももぐらもち』をうたう時、彼女の頭の中には、そんなイカしたあんちくしょう(丸の内線のこと)が浮かんでいるのでしょう。彼女は、その想像の電車に向けて、ステキな笑顔を向けます。前述したその笑顔こそ、ワタクシ幼少のミギリの電車ラブスマイルと性質を同じくしているのです。

 周りの人々が夜の校舎窓ガラス壊して回ったり、翼の折れたエンジェルになったりしていた頃、すなわち、ワタクシのティーンエイジは、線路端でカメラを構えて、電車を激写することに終始いたしました。

 その頃まで、ワタクシは瀬戸電時代のイノセントな笑顔をどこかに持ち続けていたのだと思います。それが、周りとのバランスとか見栄えとかモテるか否かなどを気にするようになって、ワタクシは、家とか会社から離れた町の本屋さんでこっそりと鉄道ファンを読むようになり、よごれっちまったオトナになっちまいました。

 ので、ワタクシのムスメが、ワタクシのクントウを受けてすくすくと育ち、鉄子になって、電車乗りつぶしの旅に出ると言い出しても、ガンバレヨと言って送り出したく思います。イノセンスはいつしかなくなっていくし、なくなんなきゃやってけない面もあるのですが、それでも、残せるんだったら、残しておいた方がいい。多分、残っているほうが楽しみの度合いが深い。天才ってのは、それを残し続けるのに成功したヒトのことだと思います。

 って電車の天才かよ、って書いてわらっちゃうワタクシと、それはちょっとなあ、と渋い顔をするツマ。これは凡才メオト。