オムリエ500マイル。

 ワタクシ、ここのところ、オムリエ業務から500マイルくらい離れた日々を送っておりました。セガレのイノジが生まれ、ムスメのウタと計2名、かれらが次から次へと生産する使用済みオムツの数に圧倒され、ついつい紙オムツを購入してみると、これが非常によい。洗わなくてよい、干してたたまなくてよい、という楽さの前には、NOK代表のプライドなど、手首をいためた相撲とりみたいなもんで、まるでつっぱりがきかない。

 布を放棄することに葛藤するのでは、と以前のワタクシ、自らに対し懸念すらしていたのですが、実際のワタクシは、そこだけは若大将風に、さっぱりとこだわりなく紙になびきました。

 ヘビーユーズしてみて、紙オムツはオシリが荒れやすい、というのも、幾分誇張しすぎて頭にインプットしていた、と感じました。肝要なのは、こまめにオムツを見て、必要ならばただちに取替えること、であって、そこんとこは紙だろうが布だろうが変わらない。普段のチェックをこまめにする手間は変わりませんが、たとえば移動の際など、すぐに替えられない場合、紙だと、おしっこされちゃっても、まあ、どうにかなる。この安心感は、ものすごく大きく、ワタクシ、いそいそと紙オムツを購入しておりました。

 ところが、ツマは、ワタクシの知らぬ間に、布オムツを新たに購入し、2名体勢にアジャストすべく策を練るなどしていたようで、いつの間にか、風呂場の片隅のバケツには使用済みの純白の(この表現おかしいね)布オムツが置かれ、ワタクシのオムリエとしての活動を無言のうちにとっても雄弁に(この表現もおかしいや)促してくるようになり、人、特にツマからのプレッシャーに極めて弱いワタクシは自発的に風呂場へと赴きざぶざぶとオムツを洗うようになり、こうやって日記も再開している次第なのではあります。

 しかし、再開してみると、オムリエ業務、自らの手できれいにするって行為が単純に気分良い。そして、確かに手間ではあるものの、捨てる行為がなく、布を使いまわしてる安心感ってのも、思っていたより大きい(お金がかからないってこと以上かもしれません)。この安心感と紙の持つ安心感は簡単に比較できないもので、人によってあるいは状況によって、どちらに比重を置くか、ということになりそうです。

 今日も今日とて、鼻歌まじりに大量のオムツをざぶざぶやっていると、ムスメがとたたと駆け寄ってきて、なにやっているのだ、と聞いてきます。キミとイノジのオムツを洗っているのだ、と告げると、ふーん、とうなずき何が楽しいんだろ、って顔してとててと次なるイケてる何かを探しにどこかへ行ってしまいます。

 セガレが生まれてから、彼女なりに色々と葛藤があったらしく、それらは未だ解決しきってはいないようではあるものの、以前のアカゴらしいぼんやりしていた顔つきが、最近変わってきたと感じさせるムスメ。ではありますが、今朝もフトンに布ではカバーし切れなかった大きなオネショのシミを作って「かあちゃん」にしなだれかかったりもしており、今は、アカゴでもない、コドモでもない区域にいるんだろうなあ、と思い、それはそれでシンドイことも多かろう、ガンバレヨと心の中でエールを送ったりしています。