オムリエサイクル。

 新しく自転車を購入しました。ムスメとセガレのコドモ2名を前後ろに載せることができるままちゃりで、自動車を持たぬワタクシどもにとっては、行動範囲が飛躍的に広がる、まさに革新的文明の利器です。早速ツマがセガレを背負って、若かりし頃乗っていて、現在は置き物と化していた自転車にまたがり、ワタクシがムスメを載せて科学の叡智たる新車に乗って、外にくり出しました。隣街にある国立大学の広大なキャンパス内で昼ゴハンを食べる算段です。

 両側に菜の花畑が広がる一本道をペダルでこいでゆくと、汗ばんで来るような陽気の中、隣街へ降りてゆく坂にさしかかると、ツマが歓声を上げました。彼女の指差す先には、富士が見えました。

 昨年まで住んでいた杉並のアパートメントには、屋上があり、そこからは富士が見えました。晩秋から春にかけての晴れた、澄んだ空気の日だけ見えるその姿は、予期しない日や、まっかな夕焼け空の向こうに見えたりすると、はっと息を飲むような存在感で迫ってきました。孤高の神聖をただよわせるその姿は、しかし、ずっと見ていると、末広がりで押し出しがいいものの、どこか間の悪いぼーっとした感じもあり、そこらへんにいわく言いがたい安心感を感じさせもしました。

 越した先の東京の西にある穏やかな街の住居は、2階建てで遠くを見渡すには低すぎ、平地で周りに見晴らしの良い丘もないゆえに、すっかり富士とは縁遠い日々を送っていたところに、のっそりと姿をあらわされたので、ワタクシも不意をつかれ、思わず歓声をあげてしまいました。

 急にさわぎだした両親に、わけが良く分からないまま、ふじさんどこふじさんどこ、と言っている間に、坂道を一気に降りられて富士を見れなかったムスメは、大層キゲンを損ねましたが、坂を降りた街で、ゼリーを買ってもらって、すぐににかーと笑いだしました。そして、たどりついたキャンパス内で、甲羅干しをする池の亀達の前で、もぐもぐとオニギリを食べ、ゼリーを食べ、ジュースを飲み、セガレの手を握って振り回して彼女なりに「おとうと」と遊んでやり、おずおずと互いに近付いてコトバをかわしはじめた地方出身と思しき新入生達の間を縫って走り回り、すっかりご満悦となりました。

 張り切った結果、さすがに帰りは眠そうにしだしたムスメですが、ワタクシどもが坂道をえんやこらと登りだすと、上に行ったらふじさんは見えるか、と再び興奮しだし、どうやら頂上に着くと、期待たっぷりに振り返りました。そういったときの常として、富士は、すっかり午後の春霞の中に姿を隠しており、ムスメはがっかりしたものの、特に執着もせずにうつらうつらと眠り出しました。

 丘の上の小さな団地を越え、中央線の掘割の上を走る頃には、ツマの背中のセガレも寝はじめ、もう一度振り返り、見えはしないものの、外輪山の向こうにいるであろう、富士の気配を感じつつ、その姿を想像で描きながら、やっぱり富士はでかいなあ、と当たり前のことを感じたりしました。

 ツマの母、すなわちワタクシの義母は、少女時代に東北から関東平野の北のはずれにやってきて、その地で結婚し、家庭を築いたのですが、少し前、その義母とふたり、朝、関東平野のはずれを車で走っていると、ずっと向こうに富士が小さく見えました。あら、富士、と声を上げた義母は、ここから見える富士はきれいでね、わたしとっても好き、と続けました。ああ、いいですね、そう応えながら、ワタクシは、少し感傷的な気分になっていました。

 どこであれ、住み着く、ということには、それなりの覚悟がいるのかもしれない。

 でも、義母が強く根を張ったように、国立大のチェリーボーイズ(オレ自分がそうだったからわかるんだ)も、そろそろと根を張り出し、そして多分ワタクシどももどうにかこうにか。そんな関東を見続けるようにそびえている富士。時々、その姿が見えると、腹立ち紛れにアクタイなんぞも言いたくなったり、でも安心もしたりする。富士のある関東、富士のある東京。

 オトナとは異なり、先ほどまで純粋に見る楽しみを追求していたムスメはアパートメント時代に生まれたのでさんざっぱら富士を見ています。しかし、セガレはこの地にやってきてから生まれました。すぐ隠れるなよーと思いつつ、今日は、富士にセガレを見せれた気にもなり、やっぱりちょっと安心して、ワタクシはペダルをうんしょうんしょとこぐのでした。
 
 そんな春の晴れた日でした。