オムリエでんた。

 ワタクシのセガレ、イノジは、現在、1歳と4カ月となり、好きなもの、がはっきりしてきた、あるいは、外に向かって表現できるようになってきました。

 そんなセガレが「ぱい」。すなわち、かあちゃん。つまりワタクシのツマ(のおっぱい)の次くらいに好きなもの。それは「でんた」。すなわち電車なのであります。

 ワタクシのツマが手に入れて来た絵本で『おとうさん』というのがあります。朝家を出て、会社で仕事して、夜帰ってくるまで、途中には会議やら電話やら搬入といった仕事と同時に終わったらヤキトリで同僚と軽く一杯、なんてシーンもある、要するに平均的なサラリーマンの1日を描いた1冊です。

 ツマは、夜寝る前に、とうちゃんもこんなことやってんだねー、と読んであげよ、くらいに思って購入したようなのですが、セガレは、この絵本における主題であり、ワタクシも是非そこんとこを噛み締めていただきたい「昼間のおとうさんのフントウっぷり」をまるで顧みることなく、ただひたすらに、朝晩の通勤電車のシーンを気に入ってしまいました。そして、この絵本は「でんた」とセガレに指差され続けて、いつしか、寝床部屋に常備される、栄えあるヘヴィーローテーション絵本の1冊に仲間入りをいたしました(ちなみに他は『ぐりとぐら』とか)。今やセガレはほぼ毎晩、主人公たる「おとうさん」が乗っている東横線とおぼしき電車を食い入るように見つめ、でんた、とつぶやきつつ、就寝前の至福のひとときを過ごしております。

 さて、このセガレのでんた好き、結構早くから芽生えていたように思います。

 ワタクシどもの家の近所にも電車が走っているのですが、セガレは1歳になる前から、その電車を見ると、手を振っておりました。今だって、動いている電車には必ず手を振ります。そして「ばいばいばい」とまで言います。この前のドライブ中なんか、それまでぐっすり寝ていたのに、踏切がなり出して、ワタクシが車を止めた途端に、寝ぼけマナコで手を振っていました。

 ワタクシどもの3歳になるムスメもまた、今のセガレくらいの年格好の頃は、電車が好きで、手を振っていたものでしたが、さすがに、寝起きで手は振っていませんでした。それに比べるに、セガレは、でんた→大好き→手を振る、という図式が、体にしみ込んでいるのです。どんな分野でも頭で考える前に体が自然に適切に動くようになってこそ一流と言われます。もしかしたら、ワタクシどものセガレは既に一流の領域に足を踏み込んでいるのかもしれません。でんたに手を振るで一流になってもツブシが効かないしと思うのは、汚れっちまったオトナの考えです。でもやっぱり、ボールが来たら自然にバットの芯に当てるような、すぐさま何かに役立つ、というたぐいの能力ではなさそうです。

 今日も今日とてセガレは、画面の端にちらりと現れた山手線をめざとく見つけて「でんた」とテレビに詰め寄ります。ああほんとだでんただよく見つけたね、と言いつつひっつかまえてテレビから引き離すワタクシの方を振り向き、もう一回セガレはでんた、と報告し、その後、コトバが続かず、頭をうんうんと振って、今度は身をよじって、ワタクシの腕を振り払い、いつものように、はいはいのまま部屋の外へ向かって突進してゆきます。

 セガレは、伝い歩きはできるものの、まだ歩けず、遠くへ移動する時は、いまだに、はいはいです。そのスピードも自由度も低い移動手段で彼はもどかしげに、でも猛スピードで、今いるところではない別のイケてる場所へ行こうとします。イケてる場所は、その時々で変わります。でも一貫しているのは、ここではないところへ、できるだけ、早く行きたい、ということです。時々、こちらを振り向いてにて、と笑います。その表情は、少しきまりわるそうな、でも誇らしげで、認めてもらいたいような気持ちの混ぜこぜになった、まさに、コドモが、いたずらしてる時のものです。

 そんなセガレにとって、でんたは、すごく早いスピードで、自分をどこかへ連れて行ってくれる、とても楽しくて、頼もしくて、イカしたアニキみたいな存在なのではないだろうか、と思います。もちろん好きに理由なんてありません。でも手を振る時の真剣でそして心から楽しそうな表情を見ていると、どこか彼がでんたを擬人化してリスペクトしているような気すらしてきます。

 だとしたら、いやそうでなくたって、本気でイカしてる、と感じてのめりこめるものがあることは、とても楽しいことだと思います。

 かくいうワタクシも、時間や、天候や、季節で色合いが微妙に変わる黄色い車体の、近所のでんた、のことが、とてもやさしげで好きなのではあり、セガレと一緒に真剣な顔で手を振ったりしております。

 親子で手を振る才能に恵まれたワタクシども。やはりツブシの効かない才能ではあるようです。