もののふオムリエ。

 世の中は、物を整理することが出来るヒトと出来ないヒトがいますが、ワタクシどもメオトは典型的な後者の人種です。物持ちがいい、と言えばエコロジーな雰囲気すら帯びますが、現実は常に家の中がとっちらかるばかりで、要するに処分する勇気が持てないだけです。

 きれいにしたい、という思いを持ちつつ、捨てることできないワタクシどもは、外へ出る時も大騒ぎです。ヤドカリのごとき大荷物を抱えて、さてどこへ行くかと言えば、郵便局に入金をしに、などという具合で、ワタクシなぞは、勤務先の会社のヒトに、キミに買われたカバンが気の毒だ、と言われました。いつもぱんぱんに膨らんだワタクシのカバンは、明らかにキャパシティーをオーバーしているというのです。

 さて、このように身軽になれない両親を持つムスメ、は当たり前のごとく、カバンにあれこれ入れる派です。どこかへ行くとなると、あまたあるカバンの中からその日の気分にあったものを選び、ワタクシどもの住居の片隅にあるオモチャスペースから、あれこれ持ち出して、そこに詰め込んでゆきます。

 ぱんぱんになったカバンの中身をそっと覗いてみると、ティッシュ、ハンケチの他に、チラシのきれっぱし、アニメキャラクターのカード、子供用ブルースハープ、電車のおもちゃ、などなどがむやみやたらと入っています。

 それだけ持って行っても、実際に使うのはせいぜいティッシュくらいなものです。だから、少し中身を減らせと思ってはみるのですが、そういうワタクシが、ほとんど使うことのないクリップやら読むことのない小説本やら絶対に会社のデスクの上以外では広げることのない書類なぞを詰め込んでいるだから、お話になりません。

 ツマから聞いた話によると、捨てることの苦手な人、というのは、根本的に世の中を信用できていないのだそうです。どんなことがあるか判らないから、保険的にあれこれ手元においておかないと不安でしょうがない。

 そう言われ、自らにあてはめると、なるほど、と感じます。外へ行く時だって、あれもこれもとカバン膨らませてやっと少しだけ安心して世の中を見渡せる。徒手空拳、体ひとつで世の中に身をゆだねる、なんてこと怖くてできない。自らのコントロールが及ばないところで、おたおたしないでいられる自信がないのです。

 そして、そう考えて、ムスメを見ても、なるほど、と感じます。

 彼女は、想定外のものごとが起きることがとっても苦手です。朝、急に外出する予定になったり、おともだちが急におもちゃを貸してとやってきたりといった事態に、彼女は、慌てふためき、泣きます。そして、ワタクシどもがあやし、言い分を聞いて、長い時間をかけて、平常の心持ちに戻ります。

 あたふたして泣いたりするのは、とってもつらくて、しんどい、とムスメはどこかで感じているはずです。

 だから、彼女は、バックに詰め込むとき、ひとつひとつ、言い聞かせます。これは、鼻水が出たとき、これは急に何か買いたくなったとき、これはいっちゃん(オトウト)が泣いちゃったとき、もしかしたらこれで遊びたくなるかもしれないから……、彼女の心配ごとが多くなればその分だけ、バックはふくらんでゆきます。

 ふくらんでもふくらんでも、ムスメを困らせるハプニングは、大して減る訳ではありません。それでもムスメは、詰め込み続けます。

 ムスメにとって、チラシのきれっぱしや、ブルースハープやらは「おそと」へ出てゆくためのヨロイのようなものなのでしょう。

 今日も今日とて、バックを小脇に抱えたムスメが、まるっこい背中をこちらに向けて、靴を履いてます。ムスメは、彼女なりのやり方で、世の中とコミットして行こうとしているんだな、と感じます。確かにドンキホーテ的な要素も含みつつ、しかし、とても真摯に、彼女は、外へ向かっているのでしょう。

 何か困ったことはないか、あればできるだけ取り除こう、そうワタクシどもメオトは、思いながらその背中を見ています。そして、負けじと肩こりの原因となる重いカバンをもって玄関の戸を開けます。

 だって、ワタクシどもは、ムスメも含め、多分、世の中が、自分たちなりに、好きなので、だからこそ、自分たちのやり方でどうにかつながっていこうと思っているのですから。