鉄オムリエ。

 現在2歳と3カ月ほどになったセガレ、イノジが好きなものと言ったら、それはもう文句なく「電車」です。
 朝起きれば、新聞がわりに電車の本をめくり、昼間はおもちゃの電車とレールとたわむれ、夜寝る前には「子守唄」がわりにふたたび電車の本をワタクシども親に朗読させます。
 要するに、朝起きてから寝るまで、セガレの年齢の割には大きめな頭の中を、電車がぐるぐるぐるぐる回っているのです。

 実際、ここのところ猛烈な勢いで言葉をしゃべりだしているのですが、そのたどたどしくも、ニュアンスははっきり伝わるコトバをよく聞いていると、どうやら彼は「はるか」やら「はやて」やら「ホワイトアロー」やら「かもしか」やら自分のお気に入りの電車に乗ったのだ、ということを必死に語っているのです。

 えーいっちゃん乗ってないじゃん。とワタクシども親は笑います。
 セガレが産まれてからは、中長距離の移動はもっぱらマイカーなので、彼は特急や新幹線には乗ったことがないのです。
 すると、セガレは、唇をとんがらかして、
「いっちゃんのったんだもん」
 と訴えます。
「えー、いっちゃん頭の中の電車に乗ってんじゃない」
 とワタクシどもがなおも言うと、意味は判らないなりに、そのカラカイのニュアンスは正確に把握するらしく
「いっちゃんのったんだもん」
 と同じフレーズを大声で叫びます。
 そのわけの判らないガンコさに思わずオトナが気合い負けして、ああそうかもしれないね。などと場を取り繕い始めると、それまで成り行きを見守っていたムスメ、ウタ(4歳6カ月)が、間違いはよくないよとばかりに
「でもいっちゃんは乗ってないよ」
 と鼻の穴を膨らませ、もー、と振り向くワタクシどもをも軽くいなして
「でもうたちゃんは乗ったよ。新幹線に」
 と昔の話を持ち出し、セガレ、さらに臍を曲げ、ムスメ、さらにあおり、ワタクシどもはいつものようにふたりにホンロウされております。

 思い起こせば、セガレ、立って歩くか歩かぬかのうちから、家の近所を走る電車に手を振っておりました。
 その姿を見てさらに、とばかりに電車の図鑑などを読ませた結果、彼は当初の電車ラブな気持ちに磨きをかけ続けてきています。
 同じように変わらぬものの中のひとつに、うた、があります。
 言葉を発した最初の時から続く、セガレの持ち歌があるのです。
「まーまーまー まあまあまあ」
 メリハリのある音階でもないのですが、常に同じメロディーで、彼はうたいます。
 当初は無節操に気分のいい時にうたっていると思っていたのが、どうも「高いところ」に登った時のテーマソングらしい、ということが明らかになってきました。

 今日も今日とて、セガレは川沿いの道を歩いてゆきます。道中、木のねっこから散歩中の犬にいたるまで、彼を立ち止まらせ、興味しんしんで見つめるアイテムが次々と現れ、曲がり角の踏切の前にたどり着くのに、とても長い時間がかかります。
 ようよう到着した曲がり角には、コンクリートで作った50センチくらいの高さの車よけがあります。
 優雅に両手を差し出し、ワタクシの手を借りてそこによじ上ったセガレは、お得意のうたをひとふしうなります。
 すると、姉であるムスメもよじ上り、同じうたを歌い出します。
「まーまーまー」のハーモニーが葉っぱを落とした幾何学的な模様の木々の枝の間を流れてゆきます。
 セガレは一緒に歌ってくれるのがうれしくて仕方ない、と顔をくしゃくしゃにして笑います。ムスメも同じようにあははと笑います。

 多分「かあちゃん」のおっぱいから、すこしずつ世の中にデビューしかけているセガレにはとって、自分が素敵に感じているものを、おんなじように感じてくれる人がいる、というヨロコビは、とても大きいのだと思います。
 ヤギみたく狭いスペースの「たかいとこ」に登ってうたう、セガレとムスメを見ながら、ワタクシはそんなことを考えます。
 やがて、踏切が降りて、大好きな黄色い電車が、目の前を通り過ぎてゆきます。喜びが最高潮になるセガレ。微妙にテンションが普通になってゆくムスメ。
 電車。というこよなく愛好するアイテムを、おんなんじように好いてやまない仲間、もしくは、女の子をセガレはいつしか見つけるのかもしれません。
 多分、そういうのをおたくと呼ぶ向きもあるのだと思うのですが、ワタクシ親として微妙にそれはちょっとと思わなくもないのではあるのですが、まあ、いいではないかな、と走り去る電車に手を振ってきゃーと嬌声を上げるセガレのミーハーっぷりを眺めながら、冷静に感じたりもしております。