運動オムリエ。

 付き合いのある人なら、皆うなずくであろう事実として、ワタクシ、運動神経にいささか問題のある人物です。いたずらに馬齢を重ねてきましたが、いまだ蹴ったサッカーボールが狙った場所へ飛んで行った試しも、振ったバットにボールが当たった試しもありません。

 ワタクシのツマもまた運動は得意ではなく、遺伝の法則を忠実になぞるかのように、ワタクシどものムスメ・ウタ(4才8カ月)とセガレ・イノジ(2才4カ月)も、運動がお上手、ではなさそうです。

 とは言っても、ふたりとも気に病むそぶりを見せず、今日も今日とて公園のアスレチックにどたばたと駆け寄って行きます。

 様子を見ていると、少し前まではワタクシの手助けがなければ上がれなかった急な斜面をムスメは、ひとりでよじ登れるようになっており、怖いもの知らずのセガレは、ふらふらしながらも、3度目くらいにはどうやらひとりで歩けるまでになっております。決して早くはないものの、彼らなりのペースで身体のこなしが上達していく様を見ていると、おお、と軽い感動を味わえます。

 先日、ある人物に聞いた話があります。

 その人物は山林関係の仕事に従事しているのですが、最近、彼が関係する里山に、自然に触れ合う目的で子どもを対象にしたツアーが来る事が増えてきたそうです。それ自体は彼らにとって歓迎すべきことです。ところが、彼らを驚かせることに、そういったツアーの参加者の中には、いわゆる健常であるのに「山の斜面を登れない」子どもが結構いるのだそうです。大人も躊躇するような急斜面なら分かりますが、スタンダードなレベルの山の斜面を登れない。

 どうしてかというと、斜面でも何でも平坦な地面のように「地面に垂直」にしか立てないからなんだそうです。力学の法則にしたがって、斜面に垂直に立った子どもは、当然のこと後ろ向きに倒れてしまいます。にわかには理解しがたいかもしれませんが、斜面に合わせて身体を前屈みにしたり、あるいは、腹這いになってよじ登る、という応用をきかせられないのです。

 こうなると、運動神経云々のレベルではなくて、動物としての野性的な感覚を持ち合わせているかどうか、という話になってくるような気がしてきます。

「そういう子どもってそれまで斜面と言えば、階段かせいぜいバリアフリーのスロープしか経験していないんだろうね」

 と、その人物は予想していたのですが、生き物として基本的な行為でも、経験をある程度重ねて覚え込む、ということは大事なようです。というか経験がないと身につけることができない。で、斜面を登るのは、ボールを的確に蹴るより、より生存の問題に近いだけ、より手間もかからずに身につけることができそうです。

 そのことを体現するかのように、いくよー、とさんざもったいつけて地面に安置したボールを蹴ろうとして空振りしてずっこけることもしばしばなムスメは、現在、滑り台の斜面を逆走する形でうんせうんせといさましくよじ登っております。

 そんな「おねえたん」を見て、オデも、とやたら手足を振り回しながらはしごを登って台の上に行こうとするセガレ。お尻をえいと持ち上げて、乗せてやると、しばし高いところにいるヨロコビをあじわった後、やおらヘッドスライディングの格好で斜面を滑り降り、ブレーキの利かぬまま地面へと突っ込みました。

 彼なりに精一杯伸ばした手も、でかい顔をガードするにはいたらず、あえなく鼻の下をすりむいて、びえーと泣くセガレ。そんな彼をあやしながら自転車に乗せ、家に向かうワタクシども。

 昼ご飯はヤキソバがいいないいやうどんがいいなとワタクシと検討を重ねるムスメと、いつしか泣き止み、名誉の負傷も誇らしげに澄まし顔で風を切るセガレ。彼らが目から鼻に抜ける身のこなしこそないものの、動物としての生命力らしきものは持ち合わせているようであることをありがたく感じつつ、いや、ヤキソバだよとムスメの提案をはねつけるワタクシ。

 通り沿いの家の梅が満開になっています。みなが外で存分に遊べる季節がやってきたようです。