オムリエ座談会報告。

 10日に、東京代々木の国立オリンピック記念青少年総合センターで、オムリエたちの座談会、行ないました。

 本当に、人が来るのか、というのがワタクシの大きな懸念でしたが、6名+ワタクシ含めて4名のオムリエ、計10名、夢の2桁の人数でお話をすることができました。
 
 参加していただいた方々お話を聞いているだけでたちまち終わってしまったように思います。思います、とあやふやに書いているのは、皆さんのお話の中身は覚えているのですが、小心者特有の緊張、で、そのときの場の進み具合をほとんど覚えていないからなのです。

 とにかく、布おむつ、をとっかかりとして、男親の育児参加について、短い時間でしたが、語り合えた、ということです。

 参加者の言葉で、
「育児をやってあげている、のではなくて、しているんです」
 という意味のものがありました。

 ツマのために、あるいは赤子のために、お世話をしてあげている。それは当然のことだし、母乳も出ない男親は、女親がいる場合、育児に関してはサポート的な役割にならざるを得ません。そして実際、今の日本の社会でお母さんがひとりで育児から生活を進めていくのは、いささか難しいのでは、と感じたりします。

 でも、だからと言って家族のためにがんばる、だけでは、きつくなった時に詰まってしまう。自分にとって、赤子のおむつを変えたり、洗ったりするのは、どういう意味があるのか、どう楽しめるのか、ということを考えつつ、があるとないとでは、切羽詰まった際の「余白」が違ってくるのでは、と思います。

 ちょっと語弊がありますが、そういった意味では「仕事」として家事育児をとらえるのもいいかもしれない、と思います。クライアントや会社や家族のためだけに仕事をしているよりも「自分にとって〜」という部分がある方が、やりがいのようなものも生まれてくる。さら言うと、コミットすることで、ツマとの間で、対等に、情報を交換し合い、対処方法などを相談しあうことができるように思います。いわば同僚の関係ですね。

 男性は仕事、女性は家事育児、といった家庭における一般的な役割分担を「無理に」変更することはなくてもいいのでは、と思います。でも、その境界をきっちり決めてしまうのではなく、男親とか女親、という垣根をある程度とっぱらい、双方の領分に自由に行き来することで、また新しい家庭のありようが見えてくるような気がしています。

 参加した皆さんは、垣根をとっぱらった上で、実に味わい深い育児ライフを送っておりました。

 自宅出産に立ち会い、育児休暇を取って、復帰後も奥様と交互に早帰りする、あるいは昼は主夫を行ない、夜に大学院に通う、あるいは、育児に積極的に参加しようとしたり、おむつ使いに特化しようとする中で生じた疑問を持ってくるなどなど、お話をもっと詳しく伺いたくなる方ばかりでした。

 布おむつはとっかかり。ひとつひとつの育児を行なっていくうちに、楽しみやら喜びやらが出てくるはずです。オムリエは、そんな育児ライフに誇りを持って対峙する男親の称号です。プライドは、楽しみと喜びがあるところに初めて生まれます。

 ということで、参加いただいた方々は全員立派なオムリエでした。

 また機会を見つけて、オムリエたちがお互いの話をもちより、語りあうような場を持ちたいな、と思います。参加していただいた方々や関係の皆様に感謝しつつ。

 デハ。