ディゴディゴオムリエ。

「ワウペダル」なるエフェクターがあります。ジミ・ヘンドリックスの「ふぁーかふぁっかふぁっかふぁかか」とか、スティーヴィー・ワンダーがキメキメだった頃などに代表される、ファンキーかつ印象的な音が出すことができるのですが、ギターを弾きながらペダルをしゅこしゅこ踏むことでその効果が出る仕組みになっております。

 で、このギターを弾きながら踏む、という動作にはちょっと修練がいります。どうにかうまく音を出したい、ということで真剣になるあまり、新米ギタリストはたいてい手ではなく「口がワウペダルとシンクロ」してしまいます。自分が足を踏むのに合わせて口を開け閉めする姿は、ばらまかれる「ふ」に群がる鯉みたいで、見ようによっては風流でもあります。

 さて、ワタクシのセガレ、イノジは最近、はさみを扱うようになりました。彼用の小さなはさみと、新聞の折り込み広告などをあてがっておくと、ちょきちょき切るのに余念がありません。

 その間、姉のウタがワタクシとじゃれあおうと、かあちゃんたるツマが洗濯やら炊事をしようと、もくもくとしております。その真剣な横顔を見ていると、集中している時の常でせいいっぱいとんがらかしている口が、はさみの動きに合わせて、開け閉めされていることに気づきます。

 その様、まさに新米ギタリストのワウペダルと同じで、ワタクシども両親を密やかに笑わせます。さらによく見ていると、決して器用とは言えないイノジゆえに、リズミカルに開閉ができず、それに合わせて口も「ちょーき(間)ちょ、きちょちょ(間)ちょーき、ん」とおよそ音楽的でないリズムで動いております。

 その「ジミヘンに挑戦していることすら伝わらないギタリスト」を彷彿とさせるようなへっぽこっぷりに、ワタクシどもは、つい笑い声を出してしまいます。

 とうちゃんかあちゃんの声に気づき、はさみを動かす手を止め、あたりを見渡し、オデのこと笑ってる、と察したイノジは、憤慨して走ってどこかへ行ったりします。そのドタバタした感じの走りっぷりに吹き出しを付けるなら「ディゴディゴ」くらいが適当でしょう。

 憤慨した時に限らず、最近のイノジは、むやみにディゴディゴ走ります。公園に行けば芝生を横切って茂みの中へ、河原に行けば川の中へ、デパートに行けば階段へ。何かイケてるものを見つけた瞬間走り出す。イノジはやっぱり男の子だなあ、と感じます。ムスメのウタがイノジの年齢のときは、ここまでむやみに走り回るようなことはありませんでした。

 ツマは、そんな2歳7カ月のイノジを見て、彼の頭の中はまだ混沌としているのでは、と言います。情報が整理されきっていないから、興味をひくものに状況をかえりみないまま飛びついてしまうのでは、というわけです。

 もしそうだとすれば、世の中の多くの男性は、頭の中がおおむね混沌としたまま大きくなっているに違いない、とワタクシは思います。じゃなきゃギターやら何やらを脇目もふらずにいじったり、他が見るとよく分からないところに向かっていったりもしないんじゃないだろうか、と思います。

 そう考えるワタクシのわきをわがディゴディゴは、オデしやわせ、とばかりにでへでへ笑いながら疾走していきます。その先に何があるのか。ワタクシには、茂みとか階段とかいった具体物ではなくて、なんか「栄光」みたいなあやふやなものがあるような気がします。じゃなきゃ走れんよ。

 栄光に向かって走り続けるイノジは、妙齢になって、ギターを買い、小遣いためてワウペダルを買い込み、ふに群がる鯉のごとく口を動かして、ふぁかふぁかやる。それは、その頃になってもいまだにジミヘンは神であり続けるであろうことと同じくらい確かなことに思えます。

 ワタクシができるアドバイスと言えば、購入して1カ月経っても口がシンクロするようなら「ベースに転向するという選択肢もある」です。アドバイスというものは自らの経験をふまえた方がより説得力が出ます、ので納得してくれると思います。栄光は多分色あせません。多分。そんなくらいじゃあ。JAH!